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【人権問題】宗教と人間関係のはなし


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こんにちは、オーストラリアでワーホリ中のすずめです!

コチラでの生活も、あと3か月程となりました。

 

ヤマセミさんとその後の計画を進めておりまして、一時帰国後に数か国まわる予定でいます。

本来ならワクワクするところなんですが、実はちょっとナイーブになっていまして。

 

“帰国=実家に帰る”、コレが不安なのです…

 

 

 

私の両親は現在、父の地元にて、親戚一同と軒を連ねて暮らしています。

 

私自身は他県で生まれ育ったので、子どもの頃は、年末年始に親戚たちと会うくらいで。

当時、私は彼らからあまり良く思われていないように感じていました。

兄弟と比べて、なんか違うなぁ…好かれてないなぁ…と思いながらも、何故かわからず。

里帰りが憂鬱だったのを覚えています。

 

その答えは、大人になってわかりました。

 

 

 

 

幼少期の話

私は幼少期に、頭の病気を患いました。

自分自身は、なかなか病院から出られへんなぁ~保育園行けてないなぁ~とか思いながら、病室の他の患者さんに可愛がってもらい、呑気に過ごしていました。

 

そんな私の病気は、思いのほか深刻だったようで、手術も上手くいかず、もう無理かも…という感じだったそうです。

(全然知らんかったけど)

 

母はよく病室に寝泊まりしてくれて、いつも一緒にいてくれて、おかげで寂しさは覚えなかったように思います。

 

 

そんなこんなで月日は流れ、何やかんやあって、私は助かりました。

めでたし、めでたし。

 

 

 

我が家の宗教問題

…と思っていたのですが。

この頃、両親と親戚たちとの間で、宗教にまつわる問題が発生していたようです😱

 

親戚の数名が、ある新宗教を信仰しているようで。

両親に、入信することで私の命が助かるかもしれない、と持ち掛けたのです。

 

母は拒否しました。

おつとめに行くより、私の側にいること、助かるための道を探すことが大切だ、と主張したそうです。

 

 

その後しばらくしてお誘いは収まったのですが。

ある日、母は気が付きました。

いつの間にか父が入信していたコトに。

 

親戚たちは父を誘い続け、悩んだ末に、命が助かるならと決めたのだそうです。

 

母はとても悲しみました。

病院で娘に寄り添いもせず、おつとめに時間を割いていたなんて、と。

 

そこから涙ながらに説得し続けたそうで、父は脱会。

 

 

…それが、親戚たちには思わしくなかったようで。

以降、我が家と親戚との間に亀裂が生じた、というワケです。

(私はその後、何やかんやで完治しました!)

 

 

 

🏡🏡🏡

 

 

 

親戚からすると、私が助かったのは宗教のおかげだ、というコトになっています。

一方、両親は、良いお医者さんに出会えたことと私の生命力だ、という意見。

 

仲違いしてしまった原因は私。

というワケで、親戚たちから煙たがられていたのかぁ…と納得しました。

大人になってからも、私の仕事やボランティア活動などが、ネガティブな雰囲気をまとって広まっています。

 

 

 

宗教の難しさ

私たちが持つ権利の中に、「信教の自由」があります。

どんな宗教を信仰するか、もしくはいかなる信仰も持たないかは、個人に決定する権利がある、というものです。

 

そんな自由が、あらゆる形で侵されています。

宗教を信仰していることで嫌煙されたり、信仰しない人を見下したり、信仰を強制されたり。

身内が入信していることで苦しむ方々も、たくさんおられます。

 

 

宗教が悪いのではありません(ものによりますが)

辛い状況を支えてくれるものであったり、人生の道しるべになる、大きな存在です。

「宗教」を使って憎しみあったり、貶したりすることに問題があります。

 

本来ならたくさんの人を救うはずの存在で、たくさんの人が不幸になるのは、とても悲しいです。

 

 

理解し合う大切さ

小学校高学年の時、ニュースを見ていると紛争の映像が流れました。

とても悲しく、何でこんなことが起きるのか、母に尋ねたことがあります。

すると母は、「争いが生まれる原因は色々あって、その一つが宗教。少しずつ知っていってみようか」と、本を何冊か薦めてくれました。

 

我が家にはたくさんの本があり、宗教に関するものも色々揃っていたのです。

 

おかげで、伝統宗教の成り立ちや教えに詳しい幼少期でした😂

 

また、母は、「宗教は本来、人の幸せのためにあるもの。たとえ信じているものが違っても、反対したり、怒りや憎しみを持つべきじゃない」と言いました。

 

今考えると、過去の出来事があったから、母は“本当の宗教の在り方”を学ぼうとしていたのかもしれません。

 

この時は、そうなんだな、と思ったくらいでしたが、成長すると共に世界情勢を知り、たくさんの人と出会い、宗教の在り方の難しさや、理解することの大切さが身に沁みました。

 

大学時代、宗教が理由で煙たがられている子がいました。お祈りをするという行為が、周りには気味が悪かったようです。宗教の問題が身近な存在であると知ったと同時に、とても悲しかったです

 

世界にはいろんな宗教があって、それぞれに信仰している人がいること。

何も信仰しない人もいること。

それらを理解し合い、認め合うことが大切だと、強く思っています。

 

 

 

今住んでいるところの近くには、とても素敵な教会があります✨

 

 

 

おわりに

我が家の親戚問題は、宗教がきっかけになりこそすれ、結局は人同士の問題。

いつか落ち着き、晴れ晴れと顔合わせが出来るとイイなぁ…と願っています。

とりあえず、一時帰国がどうなるか、憂鬱です…😂

 

因みに、私自身は特にこれといった信仰はありません。

ただ、様々な宗教を学ぶうちに、それぞれに素晴らしい教えがあることを知りました。

今は、素敵だなぁと感じるものを、心の中に置かせていただいています(セコい?)

 

宗教に限らず、何か人生を明るく照らすものが、皆さんの心にありますように😌

 

最後に、高校生の頃に読んで感動した、宗教に関係する小説を2つ紹介させていただきます!
有名なのでご存じの方も多いと思いますが、夏の読書タイムにぜひ

 

www.shinchosha.co.jp

www.shinchosha.co.jp

 

 

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